査定に役立つブックガイド
元外科医。生命保険のアンダーライティング歴25年。そろそろ前期高齢者。
告知や診断書を見ているとアンダーライティングは常に最新の医療現場と直結していることを実感しますよね。そんな最新医学をキャッチアップしたいと本を読み続けています。そうした読書の中から医師ではなくても「これは面白い!」と思える本をレビューしていきます。レビューだけで納得するもよし、実際に読んでみるもよし。お楽しみください。
読書以外ではジャズ(女性ヴォーカル好き)を聴いたり、大ファンである西武ライオンズの追っかけをやってみたり。ペンネームのホンタナは姓をイタリア語にしたものですが、「本棚」好きでもあるので・・ダジャレで。
ブックガイド(最新号)

ーー「白い巨塔」が赤字にあえぐ日ーー
大学病院
日本の医療の要は再興できるか
吉村 健佑 著
東京大学出版会 税込定価 3190円 2026年8月刊行
「気楽に読めて、査定力もアップする本を!」というコンセプトでお届けしている本ガイド。今回は、保険業界に身を置く医師や医務職なら誰もが一度は関わったことのある「大学病院」を取り上げます。かつては「白い巨塔」と揶揄され、象牙の塔か、はたまた絶対権力の牙城のように見なされてきた大学病院。若い頃、当直明けのボロボロの身体で朝のカンファレンスに詰められ、「おれたちの労働は奉公か?」とぼやきながら雑用に追われた記憶は、私を含め多くのドクターの引き出しの奥深くに眠っているはずですその大学病院がいま、前代未聞の経営危機と構造崩壊の瀬戸際に立たされているのをご存じでしょうか。
経常赤字286億円という衝撃
本書の冒頭から突きつけられる数字に、思わず目が覚めます。2024年度、国立大学病院全体の経常収支は合計286億円の赤字、赤字に転落した30病院の赤字総額は実に364億円に達しました。物価高や円安に伴う医薬品・医療材料費の高騰、光熱費や人件費の急上昇、さらには「医師の働き方改革」に伴う労働時間上限規制と多職種へのタスクシフトへの対応……。一般企業なら「価格転嫁(値上げ)」で乗り切るところですが、医療機関の収入源たる診療報酬は厳格な公定価格です。自院の判断で値上げすることなど許されません。
「放漫経営のツケだ」「経営努力が足りない」と切り捨てるのは簡単です。しかし著者の吉村健佑氏(厚生労働省出向を経て千葉大学病院等で次世代医療構想や地域医療マネジメントを牽引する医療政策学者)は、これは単なる一時的な逆風ではなく、長年放置されてきた「制度疲労」の噴出だと喝破します。
そもそも「大学病院」とは何者なのか?
大学病院は全国約8,000病院のうちわずか1%にすぎませんが、病床数の約6.6%(約9万8千床)、医師数では実に日本の医師全体の約17%(約5万5千人)を抱える文字通りの「医療の要」です。診療報酬上は「特定機能病院」という枠組みで括られますが、その実態は極めて多面的です。
・重症・希少疾患を24時間365日引き受ける「高度医療機関」
・医学生や研修医を一人前に仕仕立て上げる「教育機関」
・次代の標準治療を生み出す「研究機関」
・地域の病院へ医師を送り出して地域医療を人的に支える「医師配置のハブ」
問題は、教育や研究、医師派遣といった公共的機能が、病院の財務諸表(P/L)には直接的な収益としてほとんど反映されないことです。教育や研究に熱心になり、重症患者を丁寧に診るほど、時間あたりの診療単価やベッド回転率といった短期的な経営指標が悪化して赤字に見えるという、救いようのない構造的ジレンマを抱えているのです。
2004年「新医師臨床研修制度」が引いた引き金
本書を読み解く上で、われわれ査定関係者にとっても極めて示唆に富むのが、第2章で詳述される「大学医局の医師配置機能」の変遷です。かつての旧来型医局制度には、人事の不透明さや若手の自己犠牲といった負の側面が確かにありました。しかし裏を返せば、医局の差配ひとつで、採算の合わない過疎地や地方公立病院の産科、小児科、外科、麻酔科、救急へも医師を確実に送り出す「強力な人的セーフティネット」として機能していたのです。大学病院の医師配置機能は、財務諸表の資産には一切計上されず、診療報酬でも1円も評価されない、文字通りの"無料の公共インフラ"でした。
ところが2004年の「新医師臨床研修制度」によって、初期研修先を医学生が自由に選べるマッチング制度がスタートしました。症例の集まる都市部の有名市中病院へ若手が大挙して流出し、大学病院に残る研修医が激減。医局の求心力と支配力は一気に低下し、地方の関連病院へ医師を差配・派遣する余力そのものが失われてしまったのです。
結果として生じたのが、今日の深刻な「診療科偏在」と「地域偏在」です。不採算部門が縮小され、地方病院の救急や周産期医療が崩壊していく――。その引き金は、20年前の臨床研修制度改革が大学医局の医師配置機能を解体したことにあったわけです。
査定現場で目にする「医療提供体制の歪み」
この問題、実は日頃のアンダーライティングや支払査定の現場とも地続きです。給付金請求の診断書や照会回答を見ていると、「以前なら地元の総合病院で手術や急性期治療が完結していたはずの疾患なのに、わざわざ遠方の大学病院まで通院して抗がん剤治療を受けている」「近隣の救急受け入れがパンクし、大学病院の高度救命センターが中等症の受け皿に追われている」といった事例を目にすることが格段に増えました。
地方の市中病院から専門医が引き揚げられた結果、本来は最先端の高度医療や臨床研究に専念すべき大学病院が、広域の一般急性期医療まで抱え込まざるを得なくなっている。現場のドクターが教育や研究の時間を削られ、疲弊していく悪循環がここにあります。
2026年改定と「大学病院の再興」
2026年度の診療報酬改定では、特定機能病院入院基本料の引き上げなど一定の手当がなされました。しかし著者も指摘するように、基本料を多少上乗せした程度では、老朽化した建物の建て替え、高額医療機器の更新、サイバーセキュリティ対策、そして看護職やコメディカルの確保という将来への再投資には到底追いつきません。
本書が副題に掲げる「再興」は、昔の「自己犠牲と長時間労働」「医局による強権支配」への逆戻りを意味するものではありません。必要なのは、すべての大学病院が横並びで先端医療を競い合うのをやめ、自らの立ち位置を再定義することだと提言します。
・グローバルな先端研究と新薬・新治療開発に特化する病院
・広域の重症救急と地域医療機関への医師差配・ネットワークを支える病院
・地域に根差して総合診療医や地域医療の担い手を育てる病院
それぞれの強みを明確にし、自治体や地域病院とデータを共有しながら、透明で持続可能な人材プラットフォームへ進化できるかどうかが問われています。
まとめ:「かつて巣立った場所」の現在地
われわれ査定医や保険実務者は、日頃「入院の医学的必要性」や「約款上の手術該当性」といった個別事案の判断に目を凝らしがちです。しかし、その診断書を書き、エビデンスを創出し、後方病院へ医師を送り届けている「日本の医療のメインフレーム」がいま、激しいきしみ音を立てています。
「大学病院? もう何十年も前に足を洗ったから関係ないよ」と苦笑いしているドクターにこそ、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。かつて睡眠時間と引き換えにメスを握り、カルテの山と格闘したあの場所が、いまどんな隘路に迷い込み、どこへ活路を見出そうとしているのか。医療提供体制を俯瞰する確かな見取り図として、査定の視野をぐっと広げてくれるに違いありません。 (査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2026年10月)

























































































































































