査定に役立つブックガイド
元外科医。生命保険のアンダーライティング歴25年。そろそろ前期高齢者。
告知や診断書を見ているとアンダーライティングは常に最新の医療現場と直結していることを実感しますよね。そんな最新医学をキャッチアップしたいと本を読み続けています。そうした読書の中から医師ではなくても「これは面白い!」と思える本をレビューしていきます。レビューだけで納得するもよし、実際に読んでみるもよし。お楽しみください。
読書以外ではジャズ(女性ヴォーカル好き)を聴いたり、大ファンである西武ライオンズの追っかけをやってみたり。ペンネームのホンタナは姓をイタリア語にしたものですが、「本棚」好きでもあるので・・ダジャレで。
ブックガイド(最新号)

ーー文言の迷宮から、医学の実体へーー
本質観取の教科書
みんなの納得を生み出す対話
苫野一徳、岩内章太郎、稲垣みどり 著
集英社新書 税込定価1056円 2025年1月刊行
「気楽に読めて、査定力もアップする本を!」というコンセプトのこのブックガイド。今回は、一見すると保険実務とは何の関係もなさそうな「哲学」の新書を紹介します。タイトルは『本質観取の教科書』。
「おいおい、ついに査定を放り出して哲学に逃げたか」と思わないでください。実はこの本に書かれている思考法こそ、われわれアンダーライターや医務職が日々、カルテや診断書を前に頭を悩ませている「あの問題」を解き明かす、最強の補助線になるのです。
診断書の「言葉」に絡め取られていませんか?
われわれ査定担当者の日常を振り返ってみましょう。 手元には「入院」「手術」「発病」と書かれた診断書や領収書、ICDコードが並んでいます。形式的な条件はバッチリ揃っている。医療機関も「必要だった」と証明している。
でも、カルテの経過をじっくり読むと、「あれ? これって本当に『入院』させて管理しなきゃいけない状態だったか?」とか、「『手術』と書かれているけれど、これって外来の軽い処置の延長では……?」と、モヤモヤすることはありませんか?
医師である私自身もそうなのですが、私たちは知らず知らずのうちに、病名や手技名、ガイドラインの分類といった「言葉の形式」に絡め取られてしまうことがあります。医学的実体を見ているつもりで、実は「文字」の照合に終始してしまっているのです。
本書が提示する「本質観取(ほんしつかんしゅ)」とは、まさにその言葉の形式をいったん括弧に入れ(現象学でいう「エポケー」ですね)、「その概念がそれとして成立するために、絶対に欠かせない核心(本質)は何なのか」を徹底的に突き詰める作業です。
「椅子」の本質、「入院」の本質
本書では分かりやすい例として「椅子」が挙げられています。 材質が木であることや、脚が4本あること、黒いことなどは、椅子にとって「偶然的な要素」にすぎません。それらが変わっても椅子は椅子のままです。しかし、「人が腰をかけるための支持構造」という要素が失われたら、それはもう椅子とは呼べなくなります。これが本質です。
これを保険医学にスライドさせてみましょう。
「入院」の本質とは? 診断書に「入院」と書かれていることや、病院のベッドに寝ていたこと(形式)が本質ではありません。その本質は、「外来や在宅では対応困難な病態に対し、医師の管理下で継続的な治療や観察、看護を要する状態にあったこと」です。バイタルが安定し、外来で十分対応できる治療内容であれば、形式が入院であっても、その本質を満たしているかは慎重に見極める必要があります。
「手術」の本質とは? 診療報酬の点数がついている手技名(形式)が本質ではありません。その本質は、「一定の治療目的のもと、身体に対して医学的侵襲を加え、疾病や傷害の治療を目的として行われる独立した医療行為であること」です。軽微なレーザー照射や反復される小手技が、約款の予定する「手術の実体」を備えているか、私たちは外形の背後を見極めなければなりません。
査定の「型」を身につける
本書を読み進めると、この「本質を掴むステップ」が対話の技術として丁寧に解説されています。これを査定の意見書や判断基準に応用すると、驚くほど論理がクリアになります。
私が特に実務で使えると感じたのは、以下のような思考の「翻訳」プロセスです。
「形式的には『〇〇』と記載されています。しかし、約款上問題となるのはその名称ではなく、▲▲という医学的実体が存在したか否かです。本件の客観的所見を検証すると……」
この型で事案を整理できるようになると、ガイドラインやICDコードといった「医学的ルールブック」に振り回されることがなくなります。これらは自動的に結論を導く魔法の道具ではなく、あくまで本質を見極めるための「補助線」にすぎないということが、腹の底から理解できるからです。
まとめ:グレーゾーンに耐える強さを
最近の医療保険の査定は、本当に複雑です。治療が終わった後の延泊や、海外での一見軽症に見える入院など、白黒つけがたいグレーゾーンの境界事例が次々と舞い込んできます。
本質観取は、決して「白黒を素早く決めるためのスピードテクニック」ではありません。むしろ、安易な形式論に逃げず、グレーゾーンを丁寧に観察しながら「このケースにおける決定的な事実は何か」をじっくり見極めるための技術です。
名医の名人芸もヤブ医者の暴走もAIに標準化されていく時代だからこそ 、われわれアンダーライターに求められるのは、単なる文言の照合係(マニュアル人間)ではなく、言葉と実体を架橋する「本質を見極める目」ではないでしょうか。
哲学書だと思って敬遠するのはもったいない。机の上に一冊置いておくだけで、日々のカルテの見え方がガラリと変わる、確かな実践書です。強くおすすめします。
(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2026年7月)






















































































































































