査定に役立つブックガイド
元外科医。生命保険のアンダーライティング歴25年。そろそろ前期高齢者。
告知や診断書を見ているとアンダーライティングは常に最新の医療現場と直結していることを実感しますよね。そんな最新医学をキャッチアップしたいと本を読み続けています。そうした読書の中から医師ではなくても「これは面白い!」と思える本をレビューしていきます。レビューだけで納得するもよし、実際に読んでみるもよし。お楽しみください。
読書以外ではジャズ(女性ヴォーカル好き)を聴いたり、大ファンである西武ライオンズの追っかけをやってみたり。ペンネームのホンタナは姓をイタリア語にしたものですが、「本棚」好きでもあるので・・ダジャレで。
ブックガイド(最新号)

ーーミステリーと言う勿かれ!ーー
眠れるアンナ・O
マシュー・ブレイク著
新潮文庫 税込定価1375円 2025年7月刊行
「気楽に読めて、査定力もアップする本を!」というコンセプトのブックガイド、今回のテーマは、ホリデー・シーズンに合わせて、エンタメでありながらも、新しい疾患概念を感じ取れる(かも…)、という本格医学ミステリー「眠れるアンナ・O(オー)」です。
最近、「機能性神経障害(Functional Neurological Disorder:FND)」という名前を耳にする機会が増えてきました。子宮頸がんワクチンの副反応、あるいはコロナワクチン接種後の後遺症(倦怠感、けいれん、歩行困難など)との関連で、ニュースやSNSでもちらほら話題になることもあります。原因とされるワクチンなどとの因果関係のはっきりしない症状(主に神経症状)のことです。
医師の間では、「器質的な異常が見つからないのに、明らかな運動障害や意識変容がある」―そんな現象を説明する疾患概念としてFNDが浸透しつつありますが、実際には「仮病とどう違うの?」「本人は本当に困っているの?」「詐病では?」と偏見も根強いのが現状です。
そんな中で出会ったのがこの小説、「眠れるアンナ・O」。主人公はFNDとは異なりますが「生存放棄症候群」(難民として北欧にきた中東の少女たちの疾患として有名です)というFNDと同じく「意識のはざま」で揺れる症状を、まるで実際の臨床ケースのように描いた、思いがけない拾いもののミステリーです。今回は、ちょっとまじめに、でも気楽に紹介してみましょう。
殺人容疑と「目覚めぬ女」
主人公は、かつて精神科医だったものの、自身のトラウマで現場を離れていたベネディクト(ベン)。彼が治療を依頼されたのは、「4年前、友人2人を刺殺した容疑で逮捕された少女アンナ・O」を“目覚めさせる”こと。
そう、アンナはそのまま昏睡に陥り、以後ずっと“眠ったまま”。診断は「生存放棄症候群」。ICUでもなく、自発呼吸もあるのに、目覚めない。MRIは正常、薬物反応もなし、でも起きない。まさにFNDを思わせるような「脳のスイッチが入らない」状態です。
「目覚めないこと」も意志かもしれない
面白いのは、この小説が単に「ミステリーとしての犯人探し」に終始しないところ。むしろ焦点となるのは、
• なぜアンナは目覚めないのか?
• 昏睡という「症状」は、身体的か、精神的か、それとも意志的か?
• 人は、責任を回避するために“無意識に眠る”ことができるのか?
……という、精神医学・神経科学・倫理のクロスロードに立つ問いなのです。
FNDの世界でも、「症状は偽りではないが、器質的でもない」という言葉がよく使われます。本書もまさに、“意識的な仮病”でも“純粋な医学的昏睡”でもない、そのグレーゾーンのもどかしさを丁寧に描いています。
精神医学と司法が交錯する場所
保険査定でも、精神疾患や意識障害が関与する事例では、「医学的には説明困難」「社会的には不自然でない」なんて言葉がしばしば登場しますが、本書ではそれが「司法判断」や「犯罪責任」の問題と直結しています。
つまり、アンナが“目覚めない”ことが、治療の問題ではなく、法的・道徳的な「責任回避」に見えるかもしれないという怖さ。そして、その見方が患者にとっていかに残酷かということも、行間からじわじわ伝わってきます。
「診断の重み」と「わからなさの価値」
また、本書では「生存放棄症候群」という診断名が、周囲の期待・メディアの圧力・専門家の見解を呼び込み、ひとつの疾患として社会的ラベリングになる様子が描かれています。
これは、FNDや発達障害、摂食障害、PTSDなどに関する現代医学の課題――「名前をつけることの功罪」とも重なります。診断が“病気”としての理解を助ける一方、固定観念を生んでしまうこともある。本作は、そうした医学と社会のあいだの危ういバランスを、フィクションを通してリアルに映し出しているのです。
まとめ:「昏睡」は逃避か? 症状か? 意志か?
『眠れるアンナ・O』は、ただのサスペンスではありません。むしろ、医学と社会の「わからなさ」を正面から描いたヒューマンドラマとして読むべき作品です。そしてこの「わからなさ」を“とりあえず曖昧なままにしておく”という選択が、FNDを含む多くの精神・神経疾患において必要な姿勢だということも、本書はそっと教えてくれます。
今回は、ミステリーという性格から、ストーリーそのものにはできるだけ踏み込まず、「こんなことを意識しながら読んだら面白いよ!」という観点からブックレビューしてみました。
機能性神経障害、意識障害、責任能力……それらを考えるための“感覚の地図”を手に入れたい人に、強くおすすめします。
(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2025年12月)















































































































































