前書き

Dr.ホンタナ

 元コロナでオンラインの学会が増えましたが、私は今でも一年のうちに何回か学会に参加しています。そして、ときには保険業界のみなさまにもお伝えしたい最新の知見もあります。そこで、不定期ではありますが、参加した学会の簡単なレポートをこのホームページでお伝えしたいと思います。

学会レポート(最新)

ー2024年11月 第70回日本病理学会秋季特別総会から

「ガラパゴス病理と保険医学」

 
1.Institute of Science Tokyo

2024年の11月に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合され「東京科学大学」になりました。素直に英訳すればTokyo University of Scienceで良さそうですが、これは東京理科大がすでに使っているということでInstitute of Science Tokyoという文法的には???なことになりました。その東京科学大の主催で開かれた第70回日本病理学会秋季特別総会に参加してきました。保険医学と関わりのあるトピックをレポートします。

2.医学は万国共通か?

 医学の世界は、まあ先進国にしぼって考えれば万国共通だろうな、と思っていませんか。COVID-19に対する対応もグローバルだったし、保険業界でもWHO発行の資料を典拠として使っているのでそんな思いも当然です。しかし分野によっては解釈や定義が国によって驚くほど違うものがあるのです。

 多くの場合、患者の治療に影響が出るものではありません。しかし、微妙に異なる他国の定義を日本にそのまま持ち込むと、日本の医療現場で使われている定義との齟齬で思わる誤解をしてしまうことがあります。今回のシンポジウム演題に中にそんな好例を見つけました。シンポジウム2「消化器病理の最前線と将来展望」の1題、中西幸浩先生の演題「日米における消化器病理の違い」です。
 
 消化器病理で「がん」か「がんじゃない」か、「上皮内がん」と「dysplasia(異形成?異型性?)」はどう違うのか、などなどいわゆる「がん保険」の支払判断のキーポイントとなる病理診断が日本と欧米ではかなり異なっているという驚くべき事実があるのです。

2.ガラパゴス化はこうして起こる 先進的すぎた日本

 ガラケーと同じで、医療分野のガラパゴス化も日本だけが突出してすすんでいる分野におこります。例えば胃の病理。胃がんが多いということもありますが、胃透視や胃内視鏡は日本が圧倒的に世界をリードしてきた分野です。検査法が進歩すると見つかる病変も増えてきます。早期がんや前癌病変といわれるものです。欧米ではそういう病変にはあまり関心がない時代、日本ではきめ細かい独自の臨床や病理の診断基準が作られました。

 日本の独自基準を世界標準にできれば問題ありませんがそうはいきません。WHOは欧米流の基準が基本です。日本側には自分たちが最先端という自負もありWHOに歩み寄らない。こうして消化管の病理、特に早期病変の病理はガラパゴス化していきました。

3.病理医の嘆き、保険会社の嘆き

 学会誌や抄録には実際にガラパゴス化に悩む病理医の声が聞こえてきます。

「日本の消化器病理にとってdysplasiaは扱いに困っている概念である」
「胃病理診断学では日本と欧米(日本以外のアジア諸国も含む)との間で診断基準が異なることは周知の事実である」
「dysplasiaという用語は日本の胃病理学では好まれず、粘膜内にとどまり明らかな浸潤を示さない病変を日本では腺腫と腺癌に分ける努力をしてきた」
「粘膜内腫瘍において病理医間の病理診断の不一致がみられることが指摘されているが、それは本邦と欧米の病理医間によるものばかりでなく、本邦の病理医間、さらには消化器の専門病理医間でもみられる」

 どうでしょう。がん保険では病理診断をファイナルアンサーと考えて支払査定をしているわけですが、その病理診断そのものがこんなに揺れているのです。そんなことで正しい医療ができるのか、という声が聞こえてきそうですが、それはできています。なぜなら、医療では「経過をみる」ということができるからです。

 そう考えると、本当に嘆くべきはそういう病理診断で高額の保険金・給付金の支払判断をしなくてはならない保険会社です。われわれはワンポイントの診断書ですべてを判断しなくてならないからです。

4.East is East and West is West!

 2014年に桜井らが世界的に権威のあるAmerican Journal of Surgical Pathologyに「欧米基準でhigh-grade dysplasiaとされて雑誌掲載されている病変の4%に粘膜下浸潤、1%に脈管侵襲がみられることを報告し、まさに「浸潤があるのに癌としんだんしないのか?」とけんかを売ったところ、その号のEditorialは「High grade dysplasia versus carcinoma.
East is East, West is West」とまるで「日本の過剰診断につきあってられない」という論調だったのです。

5.保険約款とガラパゴス病理のめんどうな関係

 消化管の病理を専門にしている研究者以外にとってはどうでもいいようなことですが、このどうでもいいような齟齬の存在が保険医学にとっては無視できないのです。なぜなら多くの保険会社が悪性腫瘍の定義を欧米基準であるWHOのICDやICD-Oに頼っているからです。一方、日本の医療の現場の臨床診断や病理診断は日本独自のガラパゴス病理を前提に行われています。

この図でわかるようにICDやICD-Oで規定されているcarcinoma(がん)の範囲は日本の病理診断のcarcinomaよりずっと狭い(図の赤い部分)のです。欧米でdysplasiaあるいは上皮内新生物と呼んでいる病変を日本ではほぼすべてcarcinomaと診断しています。ICDやICD-O、ブルーブックもこの欧米理念で書かれています。

こういった、日本の消化管病理の特殊性が厳然と存在する状況があるにも関わらず支払査定の現場では約款に沿うためにICDやICD-Oさらにはブルーブックまで引っ張り出して日本の病理診断書をああでもないこうでもないと解釈せざるをえないのです。しかし、そこには悲しいことに根源的な不可能性が存在しているのです。

ガラケーにしても病理にしても、日本が世界に抜きんでている分野にこそ世界標準からはずれてしまう危うさが潜んでいます。そしてその危うさが現実化したときのドラスティックな変化はガラケーの衰退が示してくれているのではないでしょうか。

学会の合間に六義園のみごとな紅葉を楽しみました。

(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2025年1月)

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